- ウィーン、あるいは運動の強権
「今日、プロペラほど美しいものはない」。飛行ショウ(断じて航空ショウではない)を観て、マルセル・デュシャンはそう言ったらしい。もちろん懐古趣味で言っているのではない。そして、運動とか機械に入れこんだ未来派風の関心からでもない。実際「未来派は都市的な印象派」と否定的に判定したくらいの人だ。むしろそのような物質のリリカルな属性から抜け出たところで、あるいはデュシャンの言い方を借りれば網膜のスリルから抜け出たところで、運動による次元の変容器としてプロペラを眺めていた節がある。運動の領域における想像上の制作物と言ってもいい。
ところで、こうしたデュシャンの目論見とは反対に、プロペラの網膜的スリル、すなわち円と円運動そのものが僕には興味がある。これは僕の空間デザインという職業に起因しているから、空間における円と円運動の効能への興味と言ってもいいのだが、円や球をモチーフにした建築家、たとえばブレやルドゥのそれとは大分異なる。
だいたいブレのニュートン記念堂のような完全な球の専一性の世界観にとっては、効能としての円なんていうものは世迷言に過ぎないのだろう。ここで言う効能とは、空間=世界なる大義名分についてのものではなく、もっとチマチマした、空間に偏在する局面が時折見せてくれるオモシロサのことだ。そうしたオモシロサ、いわば空間の序列に従属している部品の自己運動の「剥ぎ出しの器官」振りについて、とりわけ円と円運動がその役割をふられている都市を体験した。バロックの街ウィーンである。
この歴史の地層の断面であるかのような都市において、僕のような建築観光旅行者にとっては、バロックもさることながら、オットー・ワグナーやアドルフ・ロースを見学することが、パリのシャネルやルイ・ヴィトンに群がる我が同胞観光者と何ら変わらない所業となっている。
そしてもうひとつの関心がウィーンの建築家ハンス・ホラインということになるのだが、六〇年代、ホラインが登場する際にたずさえていた「形態の強権」をそこに見いだそうとする方が無理なのかもしれない。むしろ「形態の強権」はホラインが当時参照し、入れあげたナチスの砲撃塔のまがまがしい姿に残存していて、なるほど、いかにもホラインの「すべてが建築である」という建築の解体に向けられたオブセッションを十二分に表明し、屹立している。
だが、僕にはそうした「形態の強権」なる言説が、ウィーンという都市空間を表明する特権性であるとは思えないのだ。バロックやアールヌーヴォーや、それらに対峙するナチスの砲撃塔も含めた諸々の形態の強権の歴史の背後にもうひとつの強権があって、その方がむしろこの都市空間を特権的にする仕草に見える。それは一言で言えば、この都市の記憶に通底する円と円運動のありようが、地上の風物以上にウィーンをウィーンたらしめているのではないかということだ。
ウィーンは円と円の運動によって特権化された街である。それは、何よりも音楽の都ウィーンにおけるワルツの円運動にあらわれる。重厚なバロックの空間が、目くるめく運動の空間に変容する網膜のスリル。このワルツ=円舞曲へのオマージュのひとつに、映画『二〇〇一年宇宙の旅』がある。有名な冒頭はゆっくり回転する宇宙船からはじまり、かぶさる音楽は「美しく青きドナウ」だ。そしてよく知られているように、この宇宙船の回転はウィーン郊外プラター公園の大観覧車[1]に重なりあうイメージである。それもオーソン・ウェルズの映画『第三の男』に出てくる大観覧車に。『第三の男』はウィーンを舞台にした、ウィーン無くしてはあり得ない映画であり、つまり二人の映画作家によって、ウィーンは円と円運動のオマージュとして捉えているのだ。これは偶然だろうか。そうとは思えない。
ウィーンはバロックやアールヌーヴォーあるいはドイツの砲撃塔[2]等の「形態の強権」によって名指しされるだけでなく、文字通り「リング通り」という名の環状道路によって円形に括られることにはじまって、この都市を通底する「円運動の強権」として記憶されるべきだろう。停滞した歴史の地層の表面の裏側で、夜な夜な催される夜会のワルツや、百年近く回転し続けてきたプラター公園の大観覧車のような、いわば都市の部品の自己運動が歴史の厚みを貫通し「剥ぎ出しの器官」と化することによって、ウィーンは確かに息づいている。だからウィーンが美しいとするならば、荘厳なバロックの美しさに加えて、プロペラほどに美しいとすべきなのだ。
[脚注]
1_大観覧車:Ferris wheel
ウィーン郊外プラター公園のなかにある遊園地の名物。完成は1897年だから戦争中をのぞいて百年近くまわり続けてきた。出来た当時はそうであったろう十九世紀的なテクノロジーのツッパリはもう解脱していて、むしろ軽やかな都会的な印象派風。リニアーな時間を糸巻きのように巻きとって、歴史からこぼれ落ちる砂のような時を紡ぐ。
2_砲撃塔:Flakturm
第二次世界大戦終結間際、ナチスドイツによって建設された砲撃塔。ウィーンのリング通りの周辺に六基、配された。ナチのイデオロギーのヴィジュアルな表明が、形態の強権であることを示して余りある。異様な形態はいく人かの建築家のオブセッションを引き起こした。たとえば高松伸によるそれはこうだ。「果てしなく名を遠ざけ果てしなく名を呼び寄せる事物」
パピエコレvol.3 / 1996